プロフィール
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佐々木 亮太 助教
- 入局年度:2015年
医師を目指したきっかけ
私が医師を志したのは、非常にミーハーな理由からでした。小学生の頃に読んだ漫画『ブラックジャック』に影響を受け、「こんなかっこいい仕事があるんだ!」と思ったのが最初のきっかけです。しかし、医学部に進むには高い偏差値が必要で、一時は忘れて諦めかけていました。高校生になり、受験勉強を進める中で、自分の成績が理系科目に偏っていることに気づきました。特に国語が苦手だったため、理系の学部を目指すのが良いのではないかと考えるようになりました。そして、高校3年の夏に「理系の成績が良いから医学部を改めて目指そう」と突如決意し、猛勉強を始めました。
様々な大学の入学試験の傾向を調べ、自分の合格の可能性が高そうな奈良医大を目指すことにしました。
脳神経外科を選んだ理由
どの科を選ぶかについては、最初は特にこだわりはありませんでした。「自分のアレルギー性鼻炎を治したいから、耳鼻科でもいいかな」と思っていた程度でした。
初期研修医の頃、脳神経外科を回る機会がありました。その時に、てんかんやパーキンソン病などの比較的ニッチな分野に興味を持ちました。特に、てんかんの治療は推理小説のように症状や検査結果を総合して診断し、治療するプロセスが自分にはとても興味深く思えました。
てんかんの治療は、脳出血や脳腫瘍のように目に見えて明らかな異常を扱うのではなく、様々な症状や検査結果を総合的に分析し、脳のどの部分に問題があるかを推察していく必要があります。子供の頃から推理小説が好きだった私にとって、このプロセスはとてもやりがいがあるように思えたのです。
また、当時の指導医の中にてんかんの治療に積極的に取り組んでいる先生がいたことも、私の興味をさらに深めるきっかけとなりました。てんかん治療をつきつめていくと手術が必要となることもあるため、結果として脳神経外科を選ぶことになりました。
脳神経外科での経験
脳神経外科に入局してからは、手術や治療を通じて多くの患者さんの人生にかかわることができました。特に、治療が成功して患者さんの生活が良い方向に変わったケースでは非常に嬉しいものです。例えば、海外旅行に行けるようになったり、就職や結婚ができるようになった患者さんなどの様子をうかがっていると素直に喜びを感じます。
しかし、全ての症例が良い方向に進むわけではなく、時にはネガティブな結果になってしまうこともあり、そういった場合は心苦しい思いをすることもあります。人の人生を左右する仕事をしているという自覚は、常にプレッシャーとはなっていますが、だからこそとてもやりがいのある仕事だと感じています。
手術に関しては、非常に慎重に行う必要があり、常に緊張感を持って臨んでいます。私の場合は手術自体をしたくて脳神経外科を選択したわけではないのですが、患者さんを治すために必要不可欠でかつ最善の有効な手段だという思いで取り組んでいます。
働き方と労働環境
現在の医療現場の労働環境には多くの課題があります。私自身も家族との時間を大切にしながら、効率的に働く方法を模索しています。人生でさまざまなステージの医師がいますので、お互い協力しながら勤務しています。
私の場合はまだ子供も小さいため、できるだけ定時に帰るよう心がけています。妻も医療従事者で、お互いに仕事と家庭のバランスを取るよう努力しています。しかし、自身が担当した重症の患者さんがいる場合などはやはり残業することもあります。
医療従事者自身が健康であってこそ、良い医療を提供できます。労働環境の改善などについても、私も含め医療者自身で改善していく努力も必要だと思っています。
将来の展望や後輩へ
私の場合はたまたま初期研修の段階で、はっきりと自分の興味のある分野に出会うことができました。それが脳神経外科だったわけなのですが、新しく脳神経外科に興味を持つ若い医師たちに対しては、この分野の魅力と責任の重さを伝えていきたいと思います。人の人生を変えるほどの影響力がある一方で、それだけ大きな責任も伴う仕事であることも事実です。
どのような分野であれ、責任の重要性はかわりませんが、私自身はこの仕事に魅力を感じています。特に私の専門分野である機能外科は、まだまだ発展の余地がある分野で、医療の現場は常に進化しており、私たちも日々学び続けることで、患者さんに対してより質の高い医療を提供できるようになります。
これからも研鑽を積み、患者さんの人生をより良い方向に導けるよう尽力していきたいと考えています。