ベルリン留学記

新   靖 史


2013年9月,一人の侍がベルリンに降り立ちました。腰に刀を差し,侍は魂だけで勇気を振り絞って進むしかありませんでした。刀は脳神経外科学,とにかくドイツで学ぶのだという魂です。真っ暗な中を朝から出かけて行き,初めてヴァイコッチ教授(Prof. Peter Vajkoczy)に会ったとき,ニコッとして大きな声で You are welcome !  SAMURAI !  頑張ろうぜ! と,もう頑張るしかない,という状況になりました。

 シャリテ病院は,1989年のベルリンの壁崩壊に伴い東ベルリンにあったフンボルト大学医学部と西ベルリンにあったベルリン自由大学医学部が,300年の歴史をもつフンボルト大学医学部の基幹病院,Charitéの名の下に統合された大学病院です。私がデスクをもらったのはCampus Virchow-Klinikumで,西側にも大病院のCampus Benjamin Franklinがあります。ベルリン中央駅からシュプレー川をはさんで,高層ビルの校舎と伝統のある校舎が並ぶCampus Mitteがあり,ベルリンの街の象徴的な存在になっています。ここにはビザの手続きに来たり,学会や研究会があったり,私の通った解剖学教室もあります。近くにはペルガモン博物館やベルリン大聖堂,ドイツ政府関連の巨大な建物もあり,とても美しい街並みです。

シャリテの手術

 シャリテではあらゆる手術をやるのだ,たくさんの手術をやるのだ,ドイツをリードするのだという意気込みにあふれていました。シャリテに来てすぐに感じたのが,この独特の雰囲気でした。Willing powerです。毎日たくさんの手術が4つの手術室で次から次へと進んでいきます。教授は部屋を次々かわりながら手術をされます。シャリテの特徴の一つはバイパス術が多いことです。日本の脳外科医が持つ高い技術を思いながら,ここはどうするかなと,こちらも一緒に集中して見ることができます。バイパス術は日曜日にもはいったり,バイパス術に対する心意気を感じることができ,一方で研究はどうするかというスマートな部分の両方を見ることになりました。 AVMや動脈瘤や脳腫瘍,頭蓋底腫瘍の手術もたくさんあります。日本の手術とは少し違ったところもあります。しかし,彼らはARUBAの結果を意識し,studyも行い,手術中の緊張感を同じように持ってひとつひとつやり抜いています。術者の迷いや,判断もそばにいて感じることができます。圧倒的な症例数であることと,ある種のpowerを感じることができました。それはどういうものなのかということを,旅をつづけることで見つけていくことになったのです。

 ヴァイコッチ教授はspine surgeryも勉強したらいいと勧めて下さいました。年間4000を超える手術のうち脊髄脊椎手術が多いからです。この脊椎手術ではまさに一緒に汗をかくのですが,laminoplastyは全くなく固定術が多く,再手術の症例もあります。苦しい状況の手術もやり抜かなくてはならないのです。次から次へと神経内科から紹介されてきます。他に機能外科,末梢神経,水頭症の手術と臨床研究などがあります。そして小児脳神経外科はチームが異なり,順天堂大学からの先生がいらっしゃることもあり,たいへん安らぎを頂きました。

世界の脳外科医との出会い

 シャリテを通じていろんな国の脳外科医と出会うことになりました。ドイツ,スイスのほか,スウェーデン,アメリカ,カナダ,ロシア,ギリシャ,イタリア,ハンガリー,トルコ,シリア,中国,タイなど,それぞれの国の状況を知ることができました。ヘルシンキで学んで来た先生やendoscopic surgeryの勉強をしてStuttgartから来た先生の話はたいへん有益な情報となりました。たいへん有難い友達もできて助けてもらいました。

  日本脊髄外科学会で,幾人かの先生からヨーロッパで脊髄を勉強するならパリ,Lariboisière 病院のProf. Bernard Georgeのところが良いと言われていました。ベルリンからパリまでポンと行くことも考えていたところ,シャリテにジョルジュ教授が招待されたのです。たくさんの症例とビデオと講義,そしてシャリテの解剖学教室へ行って解剖もしました。若いドイツの教授と経験豊かなフランスの教授が向き合っていました。時には手術というものは,と諭すかのように話されていたのが印象的でした。

神経内視鏡手術とminimum invasive surgery

ドイツに行くのに,自分の中にいくつかの課題がありました。そのうちの一つがminimum invasive surgeryと神経内視鏡手術です。私は7年前にProf. Perneczkyの解剖のコースと手術見学に行きました。長年気になっていたminimum invasive surgeryの門をもう一度叩いたのです。ハンガリーであった解剖と手術見学のコースに参加して,その流れを汲むProf. Robert Reisch,Prof. Nikolai Hopf,Prof. Charles Teoと会うことができました。ハンガリーという土地で一緒に泊まりながら過ごすことで,思い切って話を聞き,手術やその結果も詳しく見せていただくことができたと思います。小さな穴で手術をするということだけがその本質ではなく,学術的にも雑誌の“minimum invasive surgery”は“innovative neurosurgery”にかわって進められていました。そして,この内視鏡手術をもっと肌で感じるためにZürichへ行かなければなりませんでした。

チューリッヒへ

 Prof. Perneczkyの下におられ,昔のマインツ外科医たちとつながりながら,Prof. Reischはその後も独自に仕事を展開されていました。Textbookのほか,執筆活動も旺盛で,チューリッヒのHirslanden病院におられました。7年前に手術を見て,今回ハンガリーでもお話していたのでとても歓迎して下さいました。症例をあつめ,アウディA6で関連病院の手術にも連れて行って下さいました。夜はオフィスでマインツ大学とチューリッヒ大学とヒルスランデン病院のたくさんの手術ビデオを見ることができました。内視鏡をどう活かすか,手術全体をどう考えるか,minimum invasive surgeryのconceptと具体的な方法,そしてそれをどのように今も追求しているかをできるだけ伝えようとして下さいました。

 ヨーロッパを目指すからにはチューリッヒ大学のことは考えていました。現在の教授はProf. Regliです。ローザンヌからアメリカで学ばれ,ユトレヒトからチューリッヒの教授になられました。ユトレヒトでは血行を遮断せずレーザーを用いた手技Excimer Laser-Assisted Non-occlusive Anastomosis(ELANA)に携わっておられて,バイコッチ教授とも仲間でいらっしゃいました。チューリッヒ大学でも朝早くからカンファレンスに参加し,日本からのDr.が来ているからカンファレンスは英語にしようといわれ,意見を求められるようになり,ここでまた侍になるのです。その中で部分血栓化のSCAの大きな動脈瘤があり,バイパスを併用した治療を申しあげました。そうした場合の問題点がカンファレンスで指摘されました。結果,バイパスを行いすぐに血管内治療を行いました。チューリッヒの血管内のチームにも会えることになりました。外科医と血管内治療医のやりとり,困難な手術の場面に直面したときの対応や外科医の人格は,近くで接してとても印象的でした。このような経験は,わざわざヨーロッパに来た甲斐があったと思える瞬間でありました。

ハノーファーと外科医の生き方

 日本から何人かの先生方のご紹介でHannoverのInternational Neurosurgical Institue(INI)のベルタランフィ先生のところへ行きました。ベルリンからハノーファーは電車で約1時間半くらいで行けました。昔から行きたかったあの脳の形の建物です。雪道を歩きながら遠くに光る脳を見たときは,ついに来たかという感じです。そして,美しい病院の中に入り,ベルタランフィ先生に会ってまた感動するのでした。とても親切にしていただき,家族ともども大変な安らぎをいただきました。そして,難しい手術に一人で,丁寧に,次から次へと挑んでおられるのです。脳幹や髄内の腫瘍が多く,それが紹介されて来て,患者と家族に説明し,手術をすすめられます。INIやヒルスランデンはシャリテとはまた違った環境です。ヨーロッパ最大の施設でたくさんの手術と臨床研究をうちだすシャリテと違って,患者と一対一で接して,難しい手術を請け負いすすめていくのです。ベルタランフィ先生はとても親切でいつも落ちついておられ,教授室では編集長をしておられる雑誌Neurosurgical Reviewの仕事もされていました。興味深い症例のとき連絡を下さり,ベルリンから日帰りでも手術を見に行きました。すばらしい外科医への敬意とその人生を考えさせられました。

World Neurosurgery

 世界に行くだけでなく,世界の脳外科医との触れ合いがまさにworld neurosurgeryでした。シャリテではnavigated transcranial magnetic stimulationの研究に携わりました。これはdirect cortical stimulationと同じ情報を術前に非侵襲で得るものです。ナビゲーション下にどこをどの程度刺激しているかわかるのです。トーマス・ピッチ先生がこの分野では世界をリードする存在で,Neurosurgery, JNSに代表的な論文を出されています。12月にlanguage mappingのワークショップがシャリテであり,それに引き続いて国際シンポジウムがベルリンでありました。トーマス・ピッチ先生はその中心でした。論文の作成に何度も何度もこのトーマス・ピッチ先生とメールのやりとりをすることになり,人柄や能力や考え方を深く深く感じることになったのです。世界の脳外科医と接し,手術を見て,生き様を見て,チャレンジしている姿をたくさん見て,世界の脳外科を感じることになったのでした。

最後に

 この留学を志し,そして留学を通じてたくさんの人との出会いがあり,助けていただきました。この出会いと感謝の気持ちが,留学で得た大切なものだと感じています。不安や困難を進もうとするとまたまた強く感じます。このような留学を思うようになったのは,若い日に受けた,医局の先輩方の影響があります。先輩方から,オーストリア,アメリカ,ドイツ,スウェーデンの話を聞きながら,手術を考えているうちに世界の脳外科が気になってしまったのです。これからの若い先生にも,脳外科の夢を持ってもらえるように,次の夢を示していきたいと思います。このような機会をいただき,この機会までに何度も挑戦している姿を長い間見守っていただいている中瀬教授そして同門の先生方に感謝申し上げます。

 

 

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